チルチンびと コラム

家具作家 般若芳行 Part1

 金沢在住の家具作家、般若芳行さん、椅子を中心に趣味性の高い家具類を作っている。彼を取材しようと思ったのは、仕事のクオリティが高いことと、その周辺のことを分析された言葉でしっかりと語れること、この二点が決め手だ。僕のいるアンティークの世界でも、眼が利くことと誠実であることを兼ね備えたアンティーク・ディーラーは思いの外少ない。眼が利いても不誠実な人、誠実でも眼が利かない人。数学で習うベン図のようにAとBとの資質交わるところにいる人は何の世界でも案外少ないのだろう。  般若さんは小さい頃富山県高岡市に住んでいたが両親の離婚を機に、十一才のとき母と兄、姉と金沢に移り住んだ。般若の名字は父方の出身砺波市般若地区が由来で、母は元々加賀山代温泉の生まれである。母が離婚後金沢に移ったのは女手一つでやっていくにはやはり北陸では金沢くらいしか色んな働き口がないから、という事情。昼は家政婦、夜は自衛隊内にある隊員用の居酒屋で働き、子供三人を育てあげた。  ある人物について語るときその人の両親のルーツについて知っておくことには意味がある。般若さんも富山と加賀にルーツを持ち丁度真ん中の金沢に住み仕事をしている。長野での暮らしが長かったせいもあるだろうが、彼の金沢を見る目がクールなのも父母の出身が西の加賀と東の富山に逸れていることも一因かなと思っている。先ずは彼の子供の頃、高校時代の話しをして、外堀から攻めていきたいと思う。城の中へと入っていくのは次回以降になると思うが少し待って頂くとしよう。  「美大に行きたいと思ったのが十一の夏で、ここ(金沢)に来たのが切っ掛けだったんです。最初は漠然とだったんですが、中学のときの美術の先生が金沢美大の出身でとても良くして貰って、高校は美術部入るのも何だなぁ、と思ってサッカー部に入って、二年になったときに辞めますって言ったらマネージャーとして残ってくれ画塾行きたいときは行きながらやればいいだろう、って監督に言われて最後まで続けました。小さいときから図画工作が得意で十一のときに、これで大学に行けるかも、と思ったんです。当時はガンプラ(ガンダムのプラモデル)ブームで、母子家庭で金銭的に限られていた、っていうのもあるんですけど、一度作ったものをまたスクラップにして切ったりパテで盛ったりして違う形の物にリビルドしていく、例えばガンダムなら可動域が余りないから自分で考えて可動域を増やすんです。そうやって楽しんでると元々とは違うものにどんどんなっていくんです。道具も余りなかったから本屋でホビージャパンっていうプラモ雑誌を立ち読みして、こんなふうにやるんだなプロは、って。その頃が(僕のもの作りの)原点ですかね。高校のときもサッカー部のマネージャーで昼休みに毎日監督に会って練習の段取り、打ち合わせをするんですけど、そこで大人との付き合いかたが少し分かってきた。またクラブとして強い組織、強くなるってどういうことなのか考えました。スポーツって裏方が必ず要るんだな、って凄くよく分かったし、一年生のとき、上級生に気を遣え、ってよく言われて、サッカーって受け易いパスを出すっていうのが基本にあるから、水を持ってったり球出しをしたり、そういう全ての面において出来てないといいパスが出せない。まあ、思い遣るみたいなことだと思うんですけど。監督の言葉もたまにキツいのでそれを如何にソフトに変換してみんなに伝えるか、生徒と監督の間に軋轢があってチームが崩壊し掛かったときにもそんなことよく考えてました。ぼく、金沢美大と金沢大学の両方に受かって、当時ぼくの高校からその両方に受かる生徒は中々いなくて、合格して学校の職員室に挨拶に行ったら、ぼくのことをとても目を掛けていてくれた古文漢文の先生がたまたま近くにいた校長先生に向かって、彼が(美大と金沢大学に受かった)般若君です、彼は母子家庭なんですよ、って紹介されて、関係あるのそれ、って。やっぱり世間のものの見方って固定されてるというかフィルターが掛かってて、高校の最後の最後に大人ってこんな奴らか、って思って。まあ褒めるつもりで言ってくれたんですけどね」  彼の家具作家のルーツは十一才の頃の限られたお金と道具で如何にして長く楽しんで作るか、その頃の工夫にあるようだ。中学のときも買いたい物を自分で買うために新聞配達を半年ほどやっていた。高校のときも画塾、勉学と部活のマネージャー業を両方こなしクセのある監督が彼の前に現れた最初のメンドウな大人で、その付き合いの中から彼はまた工夫することを学んでいる。苦労人というより、工夫する人、というのがぼくの彼のイメージだ。『工夫する』とは考え続けること。それは地道で根気の要る知的作業だ。彼の作る物の質の高さも凄いが、ぼくは彼のこの辺りの、考え続け工夫を重ね進化していく姿勢にも興味を持っている。物も大事だが、そこからは必ずその作り手の姿勢が透け見えている。そう思う。(続く)

塩井増秧(しおいますお)

金沢在住29年目の59歳。「アンティーク・フェルメール」店主、「そらあるき」編集長。アナログプレーヤーでレコードを聴く、マニュアルの愛車で能登島ドライブ。この二つに癒されるこの頃。古本も一応趣味。好きな作家は、ブローティガン、安吾など。南方熊楠の大ファン。

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