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チルチンびと コラム

家具作家 般若芳行 Part2

 もの作りするとき、作り手のなかに無いものはどうあがいても出て来はしない。先ず内にあるから外に出て来るのであり、そこは正直なもので誤魔化せない。人の眼は長い時間の中でだますことは出来ない、「もの」から染み出ている作り手の内面がやがては見えるようになり、それを傍に置くのもイヤになることもある。中身が薄ければ人は早かれ遅かれ飽きる。当たり前のことだが、軽薄なものの高速量産で回っているのが諸々の業界である。  もの作りのクリティカルな(批判的)精神、クリティカルな眼から生み出される線。クリエイティブを謳うより先ずクリティカルであること。作家のステレオタイプを演じるよりも、先ず作り手がものを作る動機を鍛える、自問すること。クリティカルで誠意ある眼が自分自身の仕事に向けられるときに生ずるものの線質というものがあるとぼくは信じている。  さて、家具作家、般若芳行さんのお話し、金沢美大の工業デザインに入った辺りから続けることにする。  「二年生のときに柳宗理の集中講義があって、ただ三日間話しを聴いただけなんですけど、そのときに、この人と一緒に仕事が出来るメーカーに行きたいな、と思って、彼がデザインしたバタフライ・スツールなどを作っていた天童木工に就職して、彼のデザインの図面も描かせて貰いました。そこもぼくのイメージとしては世界に伍していくメーカーという感じだったんですけど、入ってみると山形県の普通の地場産業で、そっか、木工メーカーってみんなそうなんだ、と思って。メガにはならないんです。例えばデンマークのYチェアなんかと比べると生産数も少ないんです。デンマークのデザイナーとも仕事をして凄く差があるな、と思って。発想が向こうのほうが自由なのもあるけど、天童木工の開発部の姿勢が凄く保守的なんですよね。なんでもいいからやってみろ、ってことは日本じゃ先ずないじゃないですか。それで天童木工は三年で辞めて、長野県上松町の県立職業訓練校で一年間木工の基本を学んで、そこでもう一年助手みたいなことをしながら、作りたい物作っていいぞ、って言って貰って、お金は出なかったので九時で閉まる酒屋みたいなコンビニでバイトしてました。それから独立したのが二十九歳のとき、ただ最初の三年間はその学校の旧校舎の一室を間借りして同じバイトしながらやってましたね」  『好きこそ物の上手なれ』。この昔から言われている短い言葉に尽きるかなと思う。何かを仕事にする、もの作りを仕事にするとき、それが本当に好きかどうか、そこが一番大切なのかなと思う。今の世の中は中々そんな贅沢は許してはくれない。もっと現実的処世術が仕事にも求められているらしいが、それが本当のあるべき姿なのだろうか。どの世界も好きなフリした輩がはびこり、本当に好きでやっている人には中々に生きにくい環境になっている。でも、本当は逆じゃないといけないのだ。好きでもないものを好きなフリすること自体それはもう悪であると思う。  「形態は機能に従う、っていう言葉がありますけど、それがデザインの基本だと思います。家具にも人体系と非人体系というのがあって、椅子やテーブルは人体系なんですけど、正に椅子なんかは人間の形態に従っていかないと座り心地のいいものにならないですし、そういったものには特に機能美があると思います。テーブルなんかも使い易い長方形の形って昔から変わらないんで、職人は細部のディテールにこだわって作るわけで。後は木工の場合は材料の魅力というか、どの材料をどこにどのように使って合わせていくか。例えば板にヒビがあっても裏とか背面には使っていきますし、全部が良いものである必要はない。自分が美しいと思う形とか仕口(注、二つの板を直角又は斜めに接合したときのその見え方)とか、昔なら指物の組み手を上手に隠して見えないようにするのが粋だったりとか、今は逆に見せるのが流行ってますけど、そんなところが木工職人の仕事の見せどころですかね。前に個展とかやってた頃は木工作家とか言われてましたけど、今はもう拘りもなくなったので木工屋さんとか家具屋さんで十分です。代官山で個展とかやって、自分でやってて、だから何だよ、って思って。結局、作ることとか使うことって昔から基本的に変わってない、ピラミッドなんかも人が手で作って来たわけで。話し変わりますけど、木工の世界で言うと、木工に使う古い機械を直せる人がいなくなってる、材料を見て、良い物だと分かってる物をちゃんと売れる人が少なくなってる、材木屋はいるけど目利きがいなくなってる。打ち刃物職人も跡継ぎがいないと廃業になる。ぼくらを川の下流で仕事してる人間だとしたら、川上からダメになっていく。林業から始まり、伐採する人や木を目利きする人も含めてそこからなんです。市場に木材が出て、太くて大きいから高い値が付くのは誰でも分かるんですけど、そこそこの大きさで、でも凄く良いって物をちゃんと分かる人って今どれだけいるのかな、って。今回のオリンピックでも選手村に指定されたとこにあった製材所も売ってしまって無くなったらしい。金沢に三年前に戻って来てからは個展はやらなくなって、オーダーだけでやってます。今ぼくは、どうしたら無傷でやっていけるか。自分も怪我をせず、材料にも傷を付けず機械にも負担をかけずに如何にやっていけるか。それに対する恐れみたいなのはありますね。十年前なら機械使うにしてももっと無茶してたし、今から思うとちょっと仕事やっつけてたかな、って。同じ仕事するにしても、あれ、昔のはこれで終わってたっけ、もうひと手間かけとけば良かったな、って」  彼に、まだ作ったことがなく何時か作ってみたい物は何か、と訊いてみると、少し照れながら、娘たちの二段ベッドとかですかね、と答えてくれた。この答えは全く予想していなかったが、とても素敵で彼の人柄を表してるものだった。彼が社会人三年目のときに付き合ってた彼女と自分のお姉さんにセーターを編んであげた話しが思い出された。付き合ってた女性にセーターを編んでる話しを姉にしたら、私にも編んでよ、と言われお姉さんにも編んであげたらしい。三十年近く前の話しだが、今でもそんな素敵なことが出来る男性はそういないと思う。少年時代のプラモ作りと二十代のセーター編みと今の彼の木工は彼の中で何処か一つのこと、分けられないものなのかもしれないとぼくは勝手に想像している。(続く) 塩井増秧(しおいますお)

金沢在住29年目の59歳。「アンティーク・フェルメール」店主、「そらあるき」編集長。アナログプレーヤーでレコードを聴く、マニュアルの愛車で能登島ドライブ。この二つに癒されるこの頃。古本も一応趣味。好きな作家は、ブローティガン、安吾など。南方熊楠の大ファン。


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